タイソン・ペドロ:UFCまでの道のり

UFC light heavyweight Tyson Pedro is 6-1 in his young career with five first-round finishes. Matt Roberts-USA TODAY Sports

Greg RosensteinESPN Staff Writer 2:53 AM JST

タイソン・ペドロは、土曜夜UFC 221のオクタゴンに入場する。

タイソンが入場の際にかぶる米陸軍バケットハットは従兄弟ブライアンのもので、ブライアンは2010年にアフガニスタン赴任中に戦死している。ペドロの後ろについて入場するのは父親のジョン・ペドロ。オーストラリアMMAの偉大なパイオニアでもある。

30年前、プロ格闘技に数千人の観衆が集まるという光景は想像できないものだった。ジョン曰く、オーストラリア政府は「ファイターを闘犬と同じように考えて、MMAをなくすためにあらゆることをしていた」という。

ジョンによる合法化への取り組みもあり、今やMMAはオーストラリアで最も人気のあるスポーツになっている。

タイソンは文字通り戦うために生まれた。

1991年、タイソンが生まれた際、両親のジョンとカレンは彼の頭頂部に傷があることに気付く。また、周りの新生児たちが泣いている中、タイソンは怒っているような表情で拳を顎の下で強く握っていた。二人は顔を見合わせ、世界ヘビー級王者で最強の男、マイク・タイソンから名前をとることを決める。

タイソンは3歳になるとマットでストレッチをし、その後すぐにシャドーボクシングを習い始める。父のジョンは6種類の格闘技での黒帯保持者。プロ格闘技団体King of the Cageのオーナーでもある。

タイソンは、幼少期はラグビー、テニス、サッカー、バレーボールもしていたが、常にMMAに重きをおいていた。ただ、レジェンドの息子というのは楽ではなかった。成功しなければならないというプレッシャーがあり、他の子供たちが帰った後もレッスンを続けていたという。

高校3年の時に学校を辞めてフルタイムで格闘技をすると決断するが、父の計画とは違っていたという。タイソンはこう振り返る。

「いい時代じゃなかった。UFCはまだ初期段階で金が稼げるものじゃなかった。彼はオーストラリアで金を稼いでいないファイター達を見ていたから、俺がそうなるのを望んでいなかったんだ。」

ジョンはこう語る。

「彼が大学に行かないって言ったとき、子育てに失敗したと思ったよ。彼は違う道に行きたいって言った。彼のことをサポートしようと思ったけど、最近まで自分を責めていた。」

タイソンが自身の計画を告げると、ジョンはグローブをつけて彼とスパーリングをするように指示する。

ジョン:「それで彼の前歯2本折ってしまったよ。彼はかなり酷くダウンして倒れていた。息を切らして呆然としてた。戦うためのハートがあるのか、それとも止めてしまうのか見極めたかったんだ。」

「彼はなんとか立ち上がってパンチを出してきて、その威力はだんだん強くなっていった。彼を掴んで、顔をみてこう言ったよ。『お前は大丈夫だ。お前はファイターになれる』って。」

一年前に立場は逆転した。

二人は試合に向けたトレーニング中、スパーリングで「熱くなって」しまう。タイソンは、父をボディーへのパンチでダウンさせる。ジョン曰く、人生で初めてノックダウンを奪われたという。立ち上がった瞬間自分がどこにいるかわからなかったと振り返る。

タイソンは自分がしたことにショックを受けたようだ。ジョンは涙ながらにこう語る。

「彼の表情を覚えている。彼は俺を痛めつけたことに傷ついていた。俺に謝って、格闘技は辞めるって言い出した。『ダッド、俺はもう二度と格闘技はやらない』って。だから彼を掴んでこう言ったんだ。『これからはお前が家族を守る人間だ』って。自分の息子をものすごく誇りに思ったよ。」

タイソン(通算6勝1敗)は2013年にプロデビューし、デビュー後の6試合で1ラウンド勝利。昨年9月の前回の試合はイリル・ラティフィに判定負けをしている。

タイソンは、「技術ではなくて戦略が問題だった」だと振り返る。

「ラティフィのパワーを心配しすぎて自分のパワーを忘れていた。彼がどれほど強いレスラーか、どうやってスタンドに戻すかってことばかり考えていた。『俺だって彼をテイクダウンして上をとれる』って考えるべきだった。あの試合の後は、そもそも俺がUFCにあがれるようになったスキルを磨いたよ。」

次の対戦相手はサパルベク・サファロフ(通算6勝1敗)。危険なパンチをもっている。

UFCでの1敗はたいしたことではない。ただ、2連敗すると勢いがなくなってしまう。土曜夜に勝利することは目標達成のためには非常に重要だ。

ただ、父のジョンはそれほど気にしていないようだ。

「彼はよくこう言うんだ。『ダッド、いつかあそこに辿り着くよ』って。彼のことを常に信じている。彼の目標を応援して、息子の夢に生きる父親として一緒に色々な国に行って彼の幸せな笑顔を見る。そんなことができる父親はいるか?インタビューで自分のヒーローは父親だっていうのを聞ける父親がいるか?最高だ。」

 

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