UFC Origines: ホルヘ・マスヴィダル

UFC Origine

 成功への道には、多くの困難がつきもの。困難に立ち向かったものだけが、夢に見た成功を手にすることができる。

 「何かが欲しかったら、一生懸命やらないといけない。誰かが助けてくれるのを待っていてもしょうがない。」

ホルヘ・マスヴィダルの人生

生まれ:

 「俺は12歳になるまで英語を話せなかった。俺はまずラテン系で、アメリカ人ってのはその次。」

母親は懸命に働く。父親との関係の再開:

「彼の所に訪ねて行って、話をするまで時間がかかって、ものすごく時間を無駄にしたよ。彼のことが嫌いだったんだ。」

彼は不屈の精神で、最恐のファイターの一人となった。

 「誰かをビビらせるつもりではないけど、俺はファイターだ。真のファイターを見たいなら、俺を呼ぶんだ。今日とか明日ではなくても、いつか俺の試合が、ラテンアメリカンの刺激になる。」

サクセス・ストーリーには過去がある。夢、それが道しるべとなり、人間を作る。

「親父はキューバ人で、おふくろはペルー人、それで俺はマイアミで生まれた。」

「親父には面白いストーリーがあって、彼は14歳の時にアメリカに来たんだけど、トラクターとかのあの巨大なタイヤに乗ってきたんだ。キューバでは、ああいったタイヤでボートを作るんだ。安全じゃないし、お勧めはしないけど、でも彼らは必要に迫られてそれをやった。親父と、親父の親友と、その叔父さん、3人がそのボートに乗って、マイアミを目指して海を渡ったんだ。でもマイアミまで辿りつかなくて、ヴァージン諸島に着いた。4日間海の上で過ごしたけど、2日目に水が汚染されてしまう。ボトルに水を入れていたけど、塩水につかってしまったんだ。それで飲み水が切れた。3日目か4日目、諦め始めた時に、突然カモメが彼らの釣竿の先にとまった。親父がカモメを捕まえて食べようとしたけど、彼の友達の叔父さんが止めたんだ。神からのメッセージだからだめだって。それで、親父は竿を振ってカモメを逃した。また、釣りを再開したけど何も釣れなくて、竿を立てかける。すると、またカモメがとまる。その時も、叔父さんが神のメッセージだって言う。親父はその言葉に同意したけど、神様が食べろっていうメッセージを送っているって解釈したんだ。それで、彼らはカモメを食べて、次の日にヴァージン諸島に到着した。」

「俺はマイアミで生まれ育って、この辺りで生活てきた。何度も引越しをしたよ。大家族で、他のラテン系の家と同じで、大集団だ。母親は7人兄妹、親父は8、9人兄妹だから大家族。ラテン系の大家族だから11歳か12歳まで英語を話さなかったね。他の子供達がからかってきたよ。あいつらが英語で何か言ってきたから、彼らと戦ったよ。12歳ぐらいになって、英語で会話ができるようになって、それでたくさん問題を起こした。いつも、アメリカ人である前にまずラテン系だった感じていたから。どんな環境でどういう風に育ったかっていうと、すごく慎ましい環境で育った。お袋は苦労をしてた。親父は若くして「大学」の中だった。言い換えると、刑務所だ。俺が4歳の時、18年の刑を食らったんだ。22か23歳になるまで、全く彼とは合わなかったよ。お袋は食っていくためだけに二つの仕事をしていた。俺が幼い時、お袋は親父が刑務所にいるって俺に言いたくなくて、親父は海軍で外国にいるって言っていた。お袋が二つも仕事をしているのに、俺たちのそばにいないような親父なのかって怒りを感じていた。だから、13、14歳ぐらいまで、本当に親父のことが嫌いだった。それで、お袋もとうとう、親父はずっと刑務所の中にいるって打ち明けたんだ。ずっと彼のところに訪ねていかなくて、しかも彼に嫌悪感を抱いていたことに、申し訳ない気持ちになったよ。」

 ホルヘ・マスヴィダルは、幼い時そばに父親がいなかった。母親にもほとんど会えないという状況にあっても、彼は、謙虚さ、決意、勤勉で成功するということを学んだ。

「若い時に、人生で欲しいものがあったら一所懸命やらないといけないってことを学んだよ。誰かを待っていてもしょうがない。俺はお袋の教えのおかげで成功することができた。思い出したくないこともある。何も食べずに寝たこととか。寝る時も起きる時も腹が減っていた。給食を食べるためだけに学校に行ったよ。学校に行けば食べられるから。試合の前にこれを思い出すんだ。そすると血が湧き滾ってくる。そして怒りを対戦相手にぶつけるんだ。でもいい思い出もあるんだ。どうやって手に入れたのか分からないけど、クリスマスの日にお袋がクリスマスツリーをギフトでいっぱいにしてくれたんだ。信じられないようなことだった。」

「お袋は、どんな状況でも望めばそれを得ることができるって言った。お袋と俺は、おばさんの家の床で寝ていた。彼女は二つの仕事をしていて、3時とか4時には起きていた。俺は床が寝づらくて起きてしまう。お袋はそんな時間に起きて、ネックレスを作っていた。組み立てるネックレスの箱がいくつも重なっていた。工場とかに送っていたと思う。確かじゃないけど。7時までそれをやって、俺を学校まで送って、少し寝て、それから1日が始まる。彼女はフルタイムとパートタイムの仕事をしていたから、俺と一緒にいる時間はあまりなかったね。自分が成長して、親が俺のために多くを犠牲にしてくれたってことが分かったよ。」

「俺にとって家族は全てで、戦う理由。俺は家族が困らないようにやるべきことをやる。子供の時父親がそばにいなかった。檻の向こう側にいる父親しか見れないのはすごく辛かった。俺は家に帰るけど、父親は牢屋に残る。ある程度大きくなった時、自分に誓ったことがある。18か19で、すでに辛いことをいくつも経験した。絶対に刑務所には入らないって誓った。自分の子供を育てて、檻の向こう側にならないって。あの日から、俺は変わった。俺にとって大事なのは、神、家族、試合、それでできる限り良いコンディションでいること。」

 「俺にとって子供達はかけがいのないものだ。」

ホルヘは辛い幼少期を送ったため、ゴールへの道のりは厳しかった。それでも、困難は彼を強くし、決意を強くする。

「学校ってのは俺には合わなかった。学位とかを持っている人間は尊敬するよ。俺にはできないことだから。頭が悪い訳じゃないけど、周りには困難が多くて、なかなか集中できなかったんだ。クラスが夜で昼間に他のことができたら、もっとうまくいったかもしれない。学校でスポーツをすることはできなかった。スポーツをするには、一定の成績を収めないといけなかったんだ。だから、運動神経は良かったけど、学校のスポーツはやらなかった。スポーツの最初の記憶は、ボクシングを観たこと。叔父さん達とボクシングを観て、大好きになったことを覚えているよ。野球とかサッカーも観たけど、ボクシングほど興奮しなかった。他のスポーツはなんだか古臭くて、興味が向かなかった。でも、ボクシングを観てから、人生が変わったんだ。叔父さんは、フリオ・セサール・チャベスとかの大ファンで、俺はロベルト・デュランが好きだった。彼らからすごく影響を受けた。同じようにレスリングにも興奮した。最初はボクシングにハマったけど、すぐにオリンピック・レスリングにもハマった。どちらかをできるって思った。7、8歳だったけど、どちらかをやることになるって思っていたんだ。」

ホルヘは伝統的なマーシャル・アーツで成功できずにいた。しかし、学校のレスリング・プログラムがその後の彼の人生を変えることになった。

「俺は、子供の時からすごく戦いが好きで、お袋もそれに気づいていた。俺に何をさせるべきかわからなくて、それで空手を始めさせたんだ。4つのうち3つの道場から追い出されたよ。その後、カンフー道場に連れて行かれたけど、そこも追い出された。空手のクラスでは組手はするけど、思いっきり殴ったりしてはいけないんだ。そのルールを尊重していたけど、相手に殴られるとクレイジーになってしまう。ズルはしていないけど、誰かに殴られたらこっちも我慢しなかったね。そういうわけで空手は合わなかった。どの格闘技も素晴らしいと思うけど、あれは俺には合わなかったね。」

「レスリング、ボクシング、ムエタイが俺の格闘技だけど、俺は格闘家じゃない。ファイターだ。それで、格闘技は俺が考えていたものとは違うかもしれないって考えるようになっていたけど、学校のレスリングの練習に行って変わったんだ。レスリング・スクールに3週間通った。そこはすぐに閉じてしまったけど。マットに触れて、練習を見た時、世界が変わったのを昨日のことのように覚えている。あの時、俺は死ぬまでこれをやるって悟った。これが貧乏から抜け出すチケットだって、家族をサポートする方法だって分かったんだ。3週間そこに通って、その後いろいろと問題が起きて、学校を続けられなくなった。アメリカでは、レスリングをするには、学校に通って良い成績を収めないといけない。それで、ボクシングを始めたんだ。高校にいた時は、レスリング・チームと練習はしてたけど、成績が悪くて試合には出れなかった。でも心から好きなことができて本当に幸せだった。学校でレスリングの練習をして、午後からボクシングのトレーニング。俺が通っていたジムは綺麗なジムじゃなかったけど、あの辺に住んでいる人間がジム代を払えるところだった。州の助成金があったから、優秀なアスリートとかコーチもいた。俺がいた時は、オリンピックに向けて練習するナショナル・チャンピオンもいた。国際大会で、2位と3位の選手もいた。キューバから亡命してきて、このジムで練習する選手も多かったよ。世界王者とかオリンピックのメダリストとか、人材は豊富だった。俺にとって最高の場所で、色々大事なことを学ぶことができた。」

レスリングとボクシングで新しい人生の目標を得た彼は、すぐにUFCのことを知る。そしてプロファイターになることを夢見るようになる。

「UFCのことを知る前は、俺とか仲間達はグローブをつけて、NHBの試合をしていた。禁止事項はアイポークと金的だけ。UFCが始まる前からそんなことをやっていたんだ。初めてUFCを見た時は、びっくりしたよ。ボクシングもレスリングもできる舞台じゃないかって。俺が大好きな二つ。それからは、UFCと子供のことが俺の全てになった。家族のことは愛しているけど、UFCは言葉にできない感情だね。」

道は険しくとも、彼はUFCを目指した。有名なファイター、キンボ・スライスも彼に大きな影響を与えた。

「キンボ・スライスは、これまで会った人間の中で、飛び抜けて謙虚な人間だった。冥福を祈る。彼は、誰かから新しいことを学ぶと、いつもすごく感謝していた。彼のような素晴らしい人間には滅多に会えない。キンボとは同じジムで練習した。彼に、試合がしたいって、プロになりたいって言ったんだ。彼はサポートするって言ったけど、それから何もなかった。彼は俺のことをいい加減に扱っているって思ったよ。3ヶ月後に彼から電話があって、試合の準備ができているかって言われて、俺は、できているって答えた。そしたら、彼はじゃあまた電話するって言うから、あぁ、また今度も3ヶ月後かって思っていたら、2週間後に電話をくれたんだ。その時、俺はマクドナルドにいた。彼が『試合したいか?』って言うから、『もちろん、いつ?』って答えた。そしたら、『今すぐ!』って。仲間の車で向かったよ。そこに着いたら、対戦相手が俺とやる前に他の奴と戦いたいって言うから、そうしたいならそれでいいよって言った。それで彼は、巨大な、俺の3倍ぐらいある奴と戦って、この大男を10秒でノックアウトしたんだ。彼のトレーナーが、彼とは試合をしないほうがいいって忠告してきたよ。俺にはデカすぎるし強すぎるって。俺は言ったよ、『心配するな、余裕だ』って。彼は、じゃあ分かったけど彼の右の拳には気をつけろよって言った。戦う場所に歩いていくと、周りが笑い出した。そいつらは『あの痩せ男はノックアウトされるぞ』って言う。相手の方がかなりデカかったから、みんな俺がノックアウトされるって思っていたんだ。誰も俺の試合を見たことがないから、俺が負けるって思っていた。2分後にみんなの俺を見る目が変わったけどね。」

「子供の時から裏庭でトレーニングをしていた。あの頃は、規律正しくもないし、教えやすい子供でもなかった。自分がやりたいことは分かっていたから、自分のやり方でやっていたよ。一生懸命トレーニングをしたけど、遊んだり、ダンスに行くのも好きだった。薬に手を出したり、女を追っかけたりはしなかっし、酒も飲まなかったけど、朝の6時までクラブにいた。朝起きて9時半か10時にジムに行っていたから、睡眠と食事が十分じゃなかった。だから、始めの頃は色々と失敗をしたよ。プロとしてのキャリアを歩むためには、そういうところを変えないといけなかった。良いジムを探していて、家から1時間のところにある、アメリカン・トップ・チームを見つけたんだ。今でもこのジムが世界一のジムだって思っている。このジムに出会えたことは、神のご加護だと思う。」

「常にベストファイターに囲まれた環境に身を置きたい。UFCに参戦できたけど、精神的に良い状態ではなかった。」

マスヴィダルはMMAに情熱を注ぐ。彼の目標は世界最大の舞台、UFC。地元のアマチュアの大会で成功を収めた後、プロデビューのチャンスがやってくる。

「プロになる前、ジムで他のジム生とたむろして、色々と話をしていたのを覚えている。まだ18歳だった。1,000ドルの賞金を獲得した奴がいるって話題になって、あの時、それは大金だった。ファイターにそんな大金を払うプロモーターがいるなんて信じていなかったぐらいだ。彼らに、俺が18になったらそこで試合をするってそのプロモーターに伝えてくれって言ったら、みんなは『もちろん』とか言いながら、笑っていたよ。彼らとは6、7ヶ月しかトレーニングをしていなかったけど、ボクシングとレスリングの練習は俺の人生の全てだった。18歳になって、その年に4試合した。最初の試合で1,000ドル稼いで、半分をお袋にあげた。スーパーボールで勝利したぐらいの気分だったよ。相手を叩きのめして1,000ドルも貰えたけど、それはタダででもやったことだ。」

キャリアの早い段階で、ウェルター級王者になるなど、良い評判を築いたマスヴィダルは成功を維持すべく日本に向かう。しかし、突然人生の計画が変わったため、アメリカに帰国。帰国後はストライクフォースで戦い、その後UFCに参戦する

「少しの間日本に行って、結構稼いで、その後帰国してキャリアを再スタートした。ストライクフォースと契約して、そこでは幸運にも全て上手く行った。UFCがストライクフォースを買収したとき、ものすごく興奮したよ。ベストファイターたちと戦いたい。常にそれを目指していたから。」

 UFCでの新しいスタートは簡単なものではなかった。だが、この過程で、彼はUFCの大スター、ドナルド・セラーニとのライバル関係を築く。マスヴィダルは以前から彼とオクタゴンで対峙すること狙っていた。マスヴィダルは、セラーニの勢いを奪い、ウェルター級のファイター達にメッセージを送ることになる。

「カウボーイは、俺からランキング入りしているファイターと戦うチャンスを2回も奪いやがった。2回目の時は、ランキング5位のファイターと戦う予定だった。UFCはこの試合をカウボーイに与えた。だから俺はカウボーイと戦って、俺がリアルファイターだってことを世界に証明するって誓ったんだ。彼とオクタゴンで対峙したらどうなるか、わかっていたよ。」

「俺は写真をとったり、馬に乗るためにここにいるんじゃない。戦うためにここにいる。」

「カッコつけるつもりはないけど、これが俺の仕事。俺はファイターだ。だから、ファイターを見たかったら、俺を呼ぶべきだ。」

「カウボーイを倒してから多くのことが変わった。でも、変わっていないことがある。それは誰も俺とは戦いたくないってこと。俺はベストファイターと戦いたいし、彼らも俺との対戦を望むべきだ。皆、相変わらず誰も怖くないとかぬかすけど。チャンピオンでも俺を恐れるはず。最近起きた良いことは、ショッピングモールで俺に気づくファンが何人かいて、たくさんの愛をもらったこと。すごいことだよ。俺はこのモールに10年も前から行っていたんだ。今ではもうそこには行けないほどだ。特に子供と一緒には行けない。環境が変わった。」

カウボーイ戦での衝撃的なノックアウト勝ちは、マスヴィダルにさらに大きな相手との対戦をもたらすことになる。タイトル獲得という夢に近づく一戦。それでも子供の頃のように、今でも謙虚だ。彼は人生を変えるためのサポートをしてくれたコミュニティーに恩返しすることを計画している。

「今の目標はUFCタイトルを獲ること。カリブ海とラテン・アメリカの全ての人達のためにタイトルを獲りたい。ラテン・アメリカを代表するような人間が必要だ。誰もが誇れるような人間で、皆と一緒にいる人間。絶対に俺がそういう人間になる。引退したらジムを開く。その時までにはたくさん稼いでいるから、儲ける必要はないはず。次世代の子供達にチャンスを与えることに力を注ぎたい。幼い時は、ティト・トリニダードとかオスカー・デ・ラ・ホーヤに憧れていた。多くの有名なファイターたちから影響を受けた。彼らはスペイン語を話して、貧しい環境からスタートしている。そこに刺激を受けたんだ。いつか俺が、ラテンアメリカンの刺激になる。」

「俺のジムは他とは違う。ジムに通う金がない子供にはタダで練習をさせる。それがやりたいんだ。」

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